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テーブル5 勉強会報告 土橋 美燈里

Updated: Jun 21, 2018


最近のテーブル勉強会での様子を教えて下さい。

 


 6月9日に東京都内で行った勉強会は、事前招集会からそこまで時間が経っていないせいか はたまたSkypeでのミーティングのせいか、久しぶりにメンバーと会っている実感が湧かず、和気藹々とした雰囲気であっという間に1日が終わりました。

 本会議まで3ヶ月のうち、今月は基礎知識の共有と深掘りの2点を軸に、世界の4大宗教をそれぞれの参加者に割り当て、その歴史や思想、そして信仰の分布を含めた基礎情報のプレゼンテーョンを行いました。プレゼン後は、各担当者が準備したディスカッションクエスチョンの議論を時間を区切り行いました。さらに、1回の発言に30秒という時間制限を設けることで、スピード感のある論点の明確な議論の実施を試みました。英語のみ行った午前中は、歯がゆさを感じながらも英語力などの課題を再確認するよい機会となりました。


 場所を東京ジャーミィ・トルコ文化センターに変更し、午後はフィールドトリップを実施しました。初めて目の前にするモスクや礼拝は、これまでわたしが教科書で学んでいたものや、頭の中にあったイメージと大きく異なりました。午前中に議論した際には 他宗教への誤認を排除できれば…などとあたかも他人事のように話していましたが、メンバー一同 自分たちにも自己認識なしに形作られる“ステレオタイプ”が自分たちのなかにもしっかりと存在していることを痛感しました。私も、イスラム教徒の指定の服装や食事の制限 またメッカの方角に向かい1日5回行われる礼拝などの五行にただならぬ厳格さやイスラム教そのものに強い拘束力のようなものを連想していましたが、ガイドをしてくれた方の「1日3度栄養を摂取するために食事をする。それに3時に食べるお菓子と夜中のお夜食を足したのです。どれだけです。身体だけではなく、心にも栄養を与えている、礼拝とはそういう意味合いがあるのです。深い意味合いはありません、生活の一部なのです。」という説明で、ハッと気づかされました。またその後実際に見学した礼拝からも、イスラム教が まさに人々の奥深くに根付いている生活の一部であり文化であり、息苦しく拘束する重荷ではないことを実感しました。しかしだからこそ存在する真の相互理解の難しさを思い知り、今回の勉強会は終了しました。


 特に日本に住む私たちにとって、机上の空論や他人事になってしまいがちな宗教暴力の問題へ向き合い、私たち自身が理解する努力をはじめる。決して容易なことではありませんが、現在取り組んでいる過去の事例の研究考察などを通し、本会議まで目を背けず自分ごととしてトピックに向き合いたいと思っています。



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